二つの親    3


 純也は鈴木夫婦の影響を受けて正義感の強い青年と育って居た。
そして二つの親を持って違う世界を見つめて来た事が其の人としての精神を形成していたので有る。
法学部で学んで居るが進路を決めなければならない時期が来て居た。
産みの父親が無実を訴えて続けているため刑期は丸々15年。来年の夏近くに出所となる。母、光の裁判の差し戻しの運動もかなり当時の無罪で有る証拠、真犯人で有るだろう人物も探し当てて居て今度こそはといよいよ其の勢いを増して居る。其の中にあって彼は思うのだ。
冤罪を生んだのは当時の捜査員達の焦りと杜撰な捜査、清志の犯罪と最初から決めつけた横暴な取り調べ、そして安易な起訴なのだと思って居る。
一時真剣に検事の道を歩もうかとも考えた、だが違う、事のもとは警視庁の捜査員、捜査の仕方で在る。
近頃純也の心の中で、其の捜査員への道を歩むべきでは無いのか、キャリア組で入り、そうした冤罪をどうしても防止したいし、また本当に犯罪を起こす者も許す事は出来ない。そうした思いが渦巻いて居るので在る。
どちらにしても早急に決めなければならない事だった。
秋の爽やかな風が少し開けた窓からリビングに入って来て居る。
由美子は夕食の準備を急いでいた。
そんな事を考えながら何となくテレビを眺めてソファに横たわって居る純也に気がついて声をかけた。
「あら、純也、ごめんやで、遅くなって、もう直ぐ出来るさかい。」
純也は笑って応える。
「良いよ、母さん、仕事大変だったんでしょ?」先生ママ、から母さんに昇進していた。
由美子は見抜かれた事が何となく嬉しい。
「今時の親は強いな。」と呟いた。
あ、あ、また、ネジ込まれたんだな。と直ぐに分かった。
サラダがこんもりと盛って有る皿をテーブルに置くと
「せなんや、聞いてくれへんか純也。」
これを聞かないと由美子の気持ちは晴れないんだろな、そう思い首を縦にした。
「何があったの?」
「あのね、昼休み校庭で、四年生の子が悪ふざけしたん、」其れで?と先を促すと、「少し大きめの石に滑ったんや、転んでね。その子手ーつかへんで、だから頭を打ってしもた。」
そう言えば咄嗟に身を守る行動が出来ない子ども増えたって新井教授も話してたな。と彼は思い出した。
「学校としては大した怪我でも有らへんし、保健室で治療したんや、小さなこぶが出来てたんやけどその子も痛く無いって言うし、そのまま授業受けて下校させたんよ。」
担任教師は電話で親にその事を伝えたものである。
「すっ飛んで親が来はった。」
「其れはおかしいね。何で来たの
?」と聞くと
「ま、大した怪我では無いと言って病院に行かせ無かった学校に腹立てたんやろな。」純也も普通は手当をして貰ったんだから有難うと親ならお礼を言うのだろうな。と思う。
「其れどころじゃ無いねん!」純也はへ?
と思う。「何が?」と由美子に聞いた。
「校庭に石が有るの放置したって、偉い腱膜やねん。」
校長と直に話したいって言うのを担任が教頭の由美子のところへ連れて来たらしい。
「もう、話にならへんねん。」
どうやら学校のせいの一点張りで、訴えてやるとか、この怪我どうしてくれるとか、かなり暴力団が凄む様な態度をとったらしい。
結局スマホで母親が自分で警察に連絡して警察官が学校にに来た。
生徒の怪我を見直して、転んだ経緯を聞いた。そして柔和そうな捜査員が
生徒に聞いた。「これね、誰が一番悪いと思う?」
即座に答えた。転んだのは僕が悪い。石のせいじゃ無い。家の中にはもっと危ない物がそこら中に散らばってると言ったそうで、その捜査員が其の母親に笑いながら、そう言う事だそうでと、一声かけて帰って行った。母親は子供の手を強く引っ張り口をへの字に曲げたままそそくさと帰って行った。
そこまで聴いて純也は大笑いした。
「藪蛇だったんだね〜。」と笑いを堪えてそう言うと、「せやねん、偉い迷惑なんやけど、今多いんねん、そんな親御さん。」
「遅なってごめん、食べよ。」とご飯を進めた。
「あれ、父さんは今夜遅いの?」気になって聞いた。
「あ、小平に寄って来るって。」
純也は咄嗟に「母ちゃんに何かあったの?」と聞いて居た。
「悪い事じゃ無いんよ。いよいよ父ちゃんの裁判やり直し出来るかもって。」
支援者の集まりに出かけたらしい。

生田家はもう他人事では無く家族と一緒になって居るのだ。
しかし純也の気持ちは穏やかでは無くなった。
本当にそうだろか、またダメでみんながっかりするのでは無いのか。徒労に終わった時の光の顔が浮かんで仕方無かった。

それにしても大人になった血の繋がらない息子の事をこれだけ頑張ってくれて、そう思うと今の両親にどれだけお礼を言っても言い足らない気持ちだ。

其れに自分が養子で有る事をあれから直ぐに忘れて本当の親子みたいに暮らして来れたのもこの二人が本当の子供として育ててくれてたおかげだった。この人達を悲しませる事なんか決してしてはいけない。そう言えば、この家に来て十四年、何不自由無く暮らし、養子で有る事を思わせない愛情をいつも感じて育って来た。これは誰にでも出来る事では無い。この人達を大切にして行こう。純也は改めてそう心に刻んだので在る。そして再度これから進む道を真剣に考え直してみようと決めたので在る。

由美子が急いで作った夜ご飯は其の見た目よりも美味しそうで、純也の心がじんわり暖かくなる思いだった。豚肩ロースのカツはサクサクと純也の口の中で音を立てて居る。

            4に続く

 

 

 

二つの親 2

光はその間に夫、生田清志に担当の伊藤弁護士を伴って面会をした。
純也を養子に出すとなれば正式な手続きを踏まなければならないからだ。
清志は涙ながらも我が子の幸せを願い養子に出す決心をしたのである。ただその清志の姿は痛ましく、「やっても無い事で俺はこんなところに。その事で純也も手放さなければいけないなんて、光、本当に済まない。」と頭を面接してる前の棚に付けて何回も謝っていたという。
光は「お父さんの無実は信じてるの。弁護士さんとも相談して必ず裁判のやり直しを勝ち取るから、支援してくれる人も出て来てるので、私組織を作って再試戻しの運動を起こすから、お父さんも頑張って!」と何回も励ましたのである。
それから養子縁組の手続きは何事も無く進み、由美子が光に話してから一ヶ月を経て純也は鈴木純也となり、光に連れられ世田谷の高雄と由美子の家の敷居を跨いだ。

まだ八歳の子どもが突然生活が変わり、産みの親とは戸籍も離れる。
これは相当に気持ちに負担がかかろうと思うもの。

その夜の内に帰ると言う光に一晩泊まっていく事を進めた。だが、光は頑として聞かなく、そそくさと挨拶だけ済まし三鷹へと帰って行ったのである。
出入り自由、会うのも自由との約束なので有ったのだが、その後三鷹市のあのアパートから、裁判の活動を応援してくれている光の兄の家(小平市)に越して行った。
それから純也の前に姿を見せなくなったのである。
当然純也は寂しそうだった。
だが光の事を由美子に聞くことは無く、
自分の立場を理解している、そんな利発な子どもであるがその胸の内は想像して余り有った。
其の由美子の事を先生ママと呼び、高雄を先生パパと呼び、転校した地元の学校にも慣れた。
由美子は純也が愛おしくて堪らない。だがやたらに甘やかす事はしなかった。
其れはこの子はいずれ生田夫婦に返さなければならないとそう思っていたからだ。
充分に愛し、教育をし、自立し、きちんとした大人に育てるのを目標としたのだ。
光はそれからも鈴木家を訪れて純也に逢う事は無かった。その間月に一度、其れは翌年もまたその翌年も高雄宛に手紙を書いてキチンと近況を知らせて来ていた。純也の事はいつも最後に、純也は元気にしてますか?と書かれており、生活に追われ、
そしてやり直し裁判を獲得するための活動の事を報告してく来るものだった。だから裁判の其の流れも手に取るように二人には分かっていた。
光もまた信念の在る強い女性で有る。
高雄はその度に純也の事も事細かく記載して返事を送っていたのだった。
養子に迎えてから由美子は転勤して白金小学校から三鷹市内の他の小学校に通った。
純也ひ対する虐めは当然目立つ物は無くなり、すくすくとその成長を見た。
そして月日はあっという間に過ぎ、純也は養父高雄と同じ創応大学の法学部の4年生になり其の道を進むのか大学院に残るのかそんな事を決めなければ成らない境目の時を迎えていたのである。

鈴木純也となって14年が過ぎていた。
こんなに成長するまで我が子として暮らして来れた事に由美子夫婦は感謝している。可愛らしかった童顔の純也は背の高い、所謂今風のハンサムな青年だ。もしかしたら彼女と呼べる人も居るのかも知れない。
ヤキモキしながらもそんな子を息子と呼べる幸せを感じている。

現在、高雄と由美子は揃って四十を過ぎ、高雄は創応大学の教授、由美子は三鷹私立楓中学校の教頭に昇進して忙しい毎日を送っている。

                                   3に続く

 

 

 

二つの親 1

 

                                           美野沐(みのう)

  

虐め

 

     世間は無常に陥る事は多々有る。
大人では其れも熾烈極めるが
其れは子供の世界でも同じであり、時によっては大人の世界よりも辛辣である。
今、目の前にいるこの子供に私はどうしたら生きる勇気を引き出し希望を持って学校生活を送る事をさせてあげれるのかと藻掻いていた。
彼女に言葉に出せない苦悩が今襲って来ていたのである。
純也君は泣かずに堪えている。勿論強がりである事は分かっている。
「純也君、辛かったら我慢する事ないよ、誰も居てへんし、先生の前では我慢しなくてええ。」そう言ってあげるのが精一杯だった。みるみるうちに涙が溢れ、いきなり純也は由美子にすがって声を上げて泣いた。、父ちゃんは人なんて殺してない、泣きじゃくるその声は言葉として聞きづらいがそう繰り返している。相当な我慢に違いなかったのだろう。由美子の心も泣き震えていた。
肩が震えている。由美子は母親の様に純也の肩を抱いているしかなかった。
何故、虐めを受けるのか、純也が言ったことに尽きる。
純也の父は愛人と呼ばれる女の帰宅を待ち伏せ刺殺した罪で服役をしている。
一時、冤罪では無いかとの噂が立ち、新聞各社も取り上げたのだが、現場にその父親の指紋がついた凶器が放置されていて、返り血を浴びた彼の上着が発見され、その血が被害者の物と一致した為其れが動かぬ証拠となり、本人の自白無しに起訴され裁判で刑が確定した。身勝手な別れ話の縺れからの犯罪として実刑判決に至ったのである。
事件は本人が、殺されたのは愛人ではなく、なんの関係もない、殺してないと上告はしたのだか却下されている。由美子は少し事件を調べてみたが本人は人殺しをするような性格では無かった。確証は無いのだ。ただ物証が有り、其れが決めてとはなったが本人の無罪を主張を無視して威力で持って起訴した警察や検事に疑問が残っている。冤罪であると思いがどうしても払拭出来ない。

しかし子供の世界は辛辣で大人の噂話を信用する。純也に対しての虐めがエスカートしたのは其の裁判が懲役十五年の実刑で結審した頃からであった。
今日も上履きと体操着が無くなり、其れを知らないかと隣の席の児童に聞いたところ、日頃から強固に虐めているグループから殴る蹴るの乱暴を受けていた。
いかに我慢強い子供であっても、辛辣に父親を罵るいじめっ子の精神的に追い詰める言葉や乱暴に耐えるのは本当にきつかったろう。心底可哀想だと由美子は感じていた。良く耐えていると思う。
だが、その二人の様子を教室の後側のドアー越しにそのグループの一人が様子を見ていたのを由美子は終ぞ気づかなかった。
宥めて純也をそのまま下校し、白金駅の前で別れ家に返したのである。
帰宅してからも由美子は自分を責めた。教師としての自分をである。
都内の私立高で教鞭をとる夫、高雄が帰宅して、食事をしていても心は晴れないでいた。高雄はその様子に何が有ったのか瞬時に汲み取って言った。
「あの児童の事か?」由美子は驚いて顔を上げた。見透かされていた事が恥ずかしい。
「また、だったんだな。」と高雄がポツンと言うと、滲んだ涙を指で拭きながら頷いた。
「父親が犯罪者、だからな。様子わかるよ。」高雄は由美子を見つめて尚も続けた。
「抜本的な解決って無いからな。大事にならならいよう護ってやるしか無いのが現実だな。」その通りだった。子どもを説得してもその親達も同じ、いや、それ以上に生田の家を蔑視していてまして二年生のまだ子ども、嫌悪して追い出そうとするのが正しいと思ってしまうようである。
抜本的な解決方法?そんなもの有るのなら知りたい、そう思っていたら由美子の頭を荒唐無稽な思いが湧いた。
「あ、あのね〜。」高雄は秋刀魚を口に運びながら声を出さずに頷いた。
「純也君、うちの子に出来ないかしら。」
高雄は食べてる口から驚いて秋刀魚を吹き出した。
「ど、どう、どうしたらそないなるん!」と大きな声を出した。
どうした?大阪弁になってるぞ。と由美子はおかしかった。
だが由美子の目はその思いとは裏腹に輝いていた。
「だって、そないすればお母さんの苦しみも減るし、純也君だって、ここなら転校するしか無くなるやん。其れに…。」
くぐもった由美子のその先の言葉は分かるような気がした。
「由美に子が出来無い事か?」
その言葉に即座にうなづいた。

高雄は由美子に頭が上がらない。その件は高雄のせいであった。以前由美子に内緒で自分の精子を調べて貰っていた。極端に精子が少ない体質と知ったのだ。が、其れを由美子にどうしても言えずに居たものだ。とても後ろめたい。
「純也君、ほんま良い子で。」
「僕に反対する気持ちは無いよ、でもアカンやろ、人様の子や。」と我に却って言う。
「お母さんに出入り自由にして貰うねん、うちの子にするだけ、助けてやるだけやねん。ね、どないやろ?」
由美子の気持ちは良く高雄にも理解出来た。だがそう言うほど簡単に行くものでは無い。そこいら辺は頭のいい由美子の事だから分かっているのだろうと思いながらご飯のおかわりを要求した。
それを受けながら
「ウチに任したらいいねん、明日休みだからお母さんに会ってみるわ。」
茶碗を受け取りながら其れを聞いて高雄は諦めた。
言い出したら聞かない性格の事は長年の事で知っている。上手くいったら元々だから話すくらいはいいか。
高雄も純也を知っていたから何処かで少し期待しているのかも知れなかった。
由美子の家は世田谷である。
そこから三鷹市の白金小学校迄担任教師として通っていた。
夫高雄とは奈良で知り合った。
創応大学で教師課程を取得、そのお祝いで関西に一人旅行した。その時奈良で鹿に追いかけられてる若い彼を見かけて由美子は大笑いをした。そして「手に持ってる餌を捨てたらええねん!」と大声をかけた。捨てたら鹿はピタリと止まった。彼は大きな木の下で座り込み、ゼイゼイ言ってる。
由美子はそばまで行って笑いながら言った。
「ここの鹿は餌持ってたらくれるものと思ってるから逃げたら追いかけるねん。あかんやん、持って逃げたら。」
彼は上目遣いで由美子を見ながら
「あんた誰?」と聞いてきた。
ウチ太田由美子です。笑ってごめんなさい。と返すと。
「地元の人?」と聞いてきた。
「東京の大学生よ。」と答えた。
不思議な顔して彼は更に聞いてきた。まだ息が上がっている。
「関西弁だからここか大阪辺りかと。」
由美子は大きく頷いて答えた。その時彼のそばに座ったのである。
「元々は大阪。親いっぺんに交通事故でね。おばのところで大学行かせてもろて今年卒業。」
その時の彼の顔は彼女に同情してるのがありありと語っていた。
そしたら何故か嫌になって立ちあがりながら
「ま、鹿は餌持ってると追いかけるってお覚えおき!」と、やや強い言葉をかけて去ろうとした。
少し腹が立ったのは何故だろう。
早足で歩き出した。
彼はその後を同じテンポで着いてくる。
ムカついた。振り返ると
「ついて来ーへんで!」と言い放つ。それでも
「お茶飲まない?」と平然と彼は誘って来た。
「お茶?そりゃ、ええなぁ〜、もち奢り?」大阪人はノリがいい。いや由美子がノリがいいのかもしれない。
腹が立つのがコロッと消えていた。
いい店あんねん〜行こ💕
彼は鈴木高雄と言って東京で高校の化学の新米教師だった。それからトントン拍子に付き合いが続いて結婚して7年が過ぎた。今の今まで由美子のペースに乗せられて生活をする事になったのである。
其れが高雄は寧ろ心地良いのかも知れない。
まさかほんとに純也の母親に会いに行く事は無いだろ。其れが高雄の思いであった。
だが、次の日午後から由美子は三鷹まで純也の母親、光に会いにホントに出かけたのである。白金町にあるそのアパートは小さな古びた建物で塗装の禿げた外階段を上がって2番目のドアーが純也の家である。忙しく仕事をしている光も土曜日は休みと聞いていて在宅している筈だ。
小さな呼び鈴を押すと直ぐにドアーが開いた。この間の面談の時よりも少しやつれた光がそれでも満面の笑みで出迎えてくれた。「あ、あの突然にお邪魔して…。」光はそう言う由美子の顔をニコニコしながら
「何時も純也を庇って下さり有難うございます。どうぞお入りください。」と案内した。
台所を通り六畳間の部屋に行く。それだけの住まいである。だが綺麗に片付いている。「あの、今日は純也君の事で少しお話があって、」なるだけ関西弁が出ないように話した。
「はい、もしかしたら昨日の事でしょうか。」「とにかく狭いですがお座り下さい先生。」とテーブルのところに座布団を差し出した。
座りながら「昨日?昨日何かあったのすか?」由美子はドキドキしてきた。学校での事もあったから、あれからまたと感が働いたのである。
「ま、お茶でも、先生、コーヒー召し上がります?」そう言われてふと台所を見るとインスタントのコーヒーもう底を突くくらいに減っている。
「あ、構わないで下さいね。」と遠慮をした。夫は刑務所、子どもと二人の生活は経済的にも大変なのは火を見るよりも明らかな事である。「あ、お母さん、そこで草餅買ってきました。美味しそうで。」と、渡すと、嬉しそうに微笑んで
「なら、日本茶入れますね。」
「いえ、その前にさっきの話し聞きたいです。」と話を急いだ。
光は台所に背を向けて由美子の横に座ると深く息を一度吸い込み話し出した。
「昨日夕方暗くなっても純也学校から帰って来なくて。帰ってみたら戻った様子無いんです。」由美子は驚いた。
「え、なんやて!昨日は私と一緒に、駅前迄一緒に帰った筈なんやけど。」
と言うと
「純也から昨夜遅く聞きました。だから私探しに出たんです。もう暗くなって、何か気になって。先生、」
「先生は白金稲荷ご存知ですか?」
よく知っていた。小さな稲荷神社で後ろがこんもりとした林になっている。
「こそから呻き声聞こえて来て私飛んで行ったんです。やはり純也でした。」
神社の社に寄りかかって丸くなって呻いてました。びっくりして私おぶって赤村医院に飛び込んだんです。方々殴られ蹴られしたみたいで少し意識無くなっていて。
そこまで聞いて、事の顛末が理解出来た。二人の話しを誰かが聞いていて報復を受けた。そう直感した。何と卑怯な、やった子供の顔は想像できた。
「そ、それで純也君は?」
「病院です。今日午後からも一度検査をして何でも無ければ先生が夜送って来てくれるんです。あの辺はクラスの子も多いので私はやたら出入りしない方が、」
そこで光は涙ぐんだ。「夫があんな事であの子に辛い思いをさせて、私
…。」
「勘弁やお母さん、私の配慮足らんかったん。すみません。ここまで送れば良かったんや、あほや私…。」
光はそれを見て驚いて首を振った。
「実はその事でお話が、純也君いない時の方が返ってええから話します。失礼な事かも知らへん。先に謝っておきます。」そう言う由美子を光は不安そうな顔をして見つめている。
それでも「話って何でしょうか。」と言う。
「実は、私たち夫婦に子ども居ないんです。」余りの方向の話に光は訳が分からない。「夫と話したんです。純也君を養子に迎えられないものかと。」光の顔は明らかに動揺している。
「な、何とおっしゃいました?」やっとのことで聞き直してみた。
「純也くんを私達の子供として頂きたいんです。」
「なんで、なんでなんですか?」
「お母さんにとって淳也くんは宝物。其れは分かってるんです。でも

由美子は自分の気持ちを正直に順を追って話した。
形を養子にしたら純也君は世田谷に転校する事。そこでお父さんとの話が切れて虐めに会う事が無くなること。自分達に子供が望めなくて本心養子に迎えたいこと。光さんとの絆は途切れない事。そして光さん自身が今より身体も気持ちも楽になる事。
そこで迄聞いても光は顔を挙げなかった。母親である以上其れは理解の範疇であった。
「でもこの事は容易では無いこと知ってます。ご返事は急ぎません。だけど私達が子供としてお預かりする事はもしかしたら純也くんの命を大切にする、気持ちも幾らか軽くなる事に繋がるんでは無いのかと思うんです。昨日の事みたいな事防ぐためにも。あくまでも純也くんのお母さんは光さんです。いつでも会えるんです。」そこまで口に出して、私はもしかしたら光さんから宝を奪おうとしてるのでは無いか、都合の良い事並び立てて、

と、そう思い当たった
「お母さん、そなウチ帰ります。決してこの話強制でも無くて提案として頭に入れて置いて下さい。ほんまにお母さんの心に土足で入るような真似をしてすみません。」ふと見ると首を下げたままその言葉に首を振っている。いえいえ、という意味にも
なんて事を言うの、とそんな気持ちで振って居るのか、どちらかは分からなかった。
とうとうお茶を入れることなく光はドアーを閉めた。
ウチはなんて酷いことを光さんに言ってしまったのだろう。其のドアーを見つめてそう反省に至ったのである。でももう矢は放たれてしまった。なるようにしかならへん。そう気持ちを切り替えて家路を急いだ。もう白金駅の近くまで来ていた。
定期を、出そうとしたら
「先生、待って下さい!」と光の声がした。「先生、純也を、純也をお預けします!」そう言って泣き崩れてしまった。
ここでは人の往来が有り過ぎる。駅の側の小さな喫茶店に光を抱えながら入り奥の席に案内した。
「先生のお話とても嬉しかったです。親として子どもを手放すのはとても辛いですが、私には護ってあげれません。ただあの子は主人の子でも有ります。黙って先生に預ける事は出来ませんので話しをしなければなりません。それまでどうぞ学校での事宜しくお願いします。」
頭を下げ、涙しながらそう話す光を見て
ウチは純也くんと、このお母さんも護って行かへんとあかん、そう思うと、由美子は自分が言い始めた事なのに身体が震えているのを覚えたのである。
次の日純也は学校を休んだ。殴る蹴るをしたであろう子どもは何事も無かったように一日を過ごして帰って行った。その翌日から純也は登校したが、休み時間も由美子は教室にいて監視の目を光らせている。其れにしても怪我が大事に至らなくて良かったと思う。淳也くんは勿論だが暴行を働いた子も今は当然な事をしただけと思って居てもいずれ大人になる。自分のした事を全て理解していく。其の汚点にならなくて良かったと心から思うのである。
それから何事もなく1週間が過ぎた。

 

                             2に続く