二つの親 10

其れを冷静な目で見ていた純也は自分の中で何処かぼんやりしていた進路がもしかしたら開けたと感じて居たのである。

🌸ここまでまでが前回

 

弁護士の資格を取る。

そう高雄に話したのはそんな事が起きた数日後の事であった。

丁度、創応大のキャンパス食堂で珍しく親子で食事していた時の事だ。

息子のその決意は、高雄にとっては想像の内だったのである。

この子ならその道へ進むのかも知れない。

そんな思いがしていた。

其れはあの支援者の会議で野村宅へ行った時から何となく高雄に住み着いたのだ。

純也の顔をじっと見つめる父の眼は相当に大変な道となるよ、やるなら徹底的にやれ、と言っているようで、それを感じ取った彼は言った。

その試験は来年の夏前の事になる。

幸い純也は法科の学生で成績も群を抜いていた。

厳しいのは変わらないが親として応援をする覚悟は付いていた。高雄にとって本当なら望めない子で在った筈である。それに恵まれて今その子が真っ直ぐな道を歩いている事が嬉しくも頼もしくも有ったのである。

「父さん、確かに道は険しいけれど、僕は頑張る。」

「罪を問われた人達に撮って弁護士はどんな罪だって、最後の砦となると思うんだ。そんな人達の力になりたいと考えてるんだ。」

その言葉に高雄は真顔のまま頷いた。

息子は普通の弁護士になろうとしているのでは無く、きっと伊藤さんの様な弁護士になりたいのだろう。

そしてあの有村さんの熱意もそれを決めさせたのだろうな。

と、そう思った。

だがこの年も早十一月の初め、試験は来年の七月になろう。

その道を極めるには余り時間が残されてない。大学院に残り、其れを目指すのもいいか。

そんなふうに思い高雄は食後の珈琲に口を付けた。

二人とも言葉数の少ない、

本当に不器用な似た者親子である。

   中川に対する裁判は丁度其の辺りで結審を見るであろう事は今相対して話している親と子は理解している。そしてその頃15年の刑期を終え清志も出所する。来年どんな夏を迎えるのかと純也は思いを馳せていた。

                                          続く

 

 

 

 

二つの親 9

有村や、支援者の熱意を純也は目の当たりに今見ているので有った。胸に込み上げる熱い物。其れは一体何であるのか彼はまだ分からずに動揺している。🌸ここまてまが8

それから一時間の時を支援者はワイワイ

言いながら、三々五々帰って行くと家族だけになって、知らぬ間に用意されていた夕餉を囲む事になった。

予想していたのか居ないのか、すき焼きだった。とても美味しそうな和牛が食べきれないほど用意され、荒く切った野菜やしらたき、豆腐、新鮮な卵。卵は今でも農家している方からの頂き物だと叔母が笑顔で言う。

「しかし、純也、ほんとに大人になったなぁ〜。」と叔父が感慨深げに言う。

「清志君があんな事になってから会えなかったものな、さぁー食え、ご飯もいっぱい炊いてあるぞ。」とコロコロした身体を揺すってコロコロ笑う。叔母が口を挟んだ

「あら、ご飯だけじゃないのよ。こんなにお肉だって有るじゃない!光さんがね、用意したの。鈴木さんから電話貰ってからね。ソワソワして何だろう?と思ってたら泣きながら財布持ってね。」

光が言う、「ここののそばに花小金井ってところがあってね。花小金井駅の少し手前に美味しいお肉屋が有るの。そこの和牛買い占めて来たのよ。」

純也は嬉しかった。確かに14年の月日会えなかった。

その時間は長いものだったが、自分には鈴木の母さんと父さんがいて、寂しく思った事は殆ど無かった。でも母ちゃんはきっと寂しくて、心配でたまらない日を過ごしていたんだろう。

そんな事を思ったのである。

確かに子どもと暮らせないのは光にとって身を裂かれるくらい辛かった。でも、一番安心な所に其の子供はいてしっかりとした大人に育てて貰える安心感も有った。

だから清志の再審申請の活動に没頭出来た。

其の息子に会える、その喜びはきっと皆も感じて居た以上な物だったろう。

久しぶりに大勢での食事をしてそろそろ帰ろうかと準備をしていた。

そこに電話が鳴り響いたのである。

「はい野村です。」と叔母が出ると、伊藤弁護士からのものだった。夜の9時を過ごし過ぎて居る。あの落ち着いている筈の伊藤の声は弾んでいた。

「野村さん!よく聞いて!中川が全部吐いた!」

「え!、ち、ちょっと待って!あなた、あなた、伊藤弁護士さんから!早く」とせかせて叔父に替わると伊藤の話を頷きながら聞いて居たその目からボロボロ涙がこぼれている。

「はい、分かりました。再審請求、これで確実に通りますね!」と今度は笑い顔に。

ガサ入れした時に完成した時限爆弾が中川の押し入れから見つかり、其れを攻めたら、店ごと吹き飛ばしてやろうと思っていた事、其れは跡取りとして自分を認めなかった親方への憎しみと、今認められて居る調理人に対するヤキモチからで、

同じ理由で知り合いのそれとは何の関係も無いホステスの女を刺殺し、清志に罪を押し付けたと自白に至ったのである。正式な逮捕状を取って、逮捕に到ったとの事。確実に起訴され検事の取り調べを受けることになる。

それを聞くと光は泣き崩れた。

「もう少し、もう少しでもいいから早く捕まえて欲しかった。」と言いながら。純也は母ちゃんを抱き起こすと「ぞだねそだね。」と背中を撫でる純也の手は大きくて、らからの背中は頼らない程細い。この母のこの十五年の苦労が伝わって来る。

鈴木の両親も、叔父叔母も皆泣いていた。

確かに免罪が晴れて刑務所から出れて、犯罪者の看板は外れても国で決まっている其れに対しての謝罪金は其の収監されていた一日に対して千円から多くて一万二千五百円と決められている。其れも手続き等難解ですんなりとは行かないのが実情であろう。認められずに処刑された人や極中で病死した免罪であろう人達の其の気持ちを思う時

作者も悔しいのである。

たが今ここにいる家族には謝罪金の事など眼中には無かった。ただ嬉しかった。

あ!っと叔父が叫んだ。早く皆に知らせなきゃ!

そこで皆大笑いしたのである。

これからが正念場である。中川にも弁護士が付く。それによって供述をひっくり返す心配も無い事では無い。だが今回は強要された自白では無いし、時限爆弾と言う物証も有る。幸いにも其れは未遂に終わった訳だが。

伊藤弁護士もその辺の事を最後に話していた。

そして有村は其れを聞くと血相を変えて武蔵野北警察署の捜査課に飛んで行ったそうである。

其れを冷静な目で見ていた純也は自分の中で何処かぼんやりしていた進路がもしかしたら開けたと感じて居たのである。

                             10に続く

 

二つの親 8

支援者の会議室は光の住む兄の家の書斎であった。
小金井街道清瀬方面に車を走らせていくと小平市に入ったところの鈴木町の交差点を左に曲がるその道道は古くからある大きな農家が何族か並び、新しくビルが建ったりと旧新の時代が入り交じった町並みだ。鈴木町の由来も鈴木という名の農家一族が多いので付いた町名だと言うことらしい。兄の家は親から受け継いだ元々大きな農家で有った為家も大きく間取りも広い。今は農家を辞め、農地は税金対策のために売り払っていたので今では広い庭を持つ大きな家だけが残っている。光の旧姓は野本と言う。この地に根付いた農家に多い姓のひとつであった。勿論兄も野村である。野村明夫五十二歳、現在は大きな証券会社に務めて居る。清志の支援のためにこの十四年の間、大きな働きをしていたが仕事に穴を空ける事は滅多に無くその意味でも努力家な男であり光はこの兄を尊敬しているのだ。玄関迄が遠い。そんな広い土地には季節の花や樹木が沢山都会では味わえておおらかな気持ちにさせてくれる。三人は高雄を覗いて初めてその玄関迄を歩いていた。広い菊の花の花壇を曲がると其の大きな玄関から其の明夫が飛び出してきた。「す、鈴木さん、男が、中川が捕まった!」と叫びながらかけて来た。
それには高雄も由美子もそして純也も驚きを隠せなかった。顔を見合わせしていると、
「皆集まってます!さ、どうぞどうぞ!」
と興奮を隠せない明夫が案内してくれる。
、この人が母ちゃんの兄さんなんだ、
小さな時会ってはいたのだが純也にとって初めて会う人のようだった。
温和な顔立ちのコロコロとした身体付きをしている。
痩せて小さな光とは兄妹にはとても見えないな。と思いながら其の書斎のそばまで行くと大勢の興奮した声が嫌でも聞こえてきた。「有村さん、これで再審請求通りますよね!」と大きな声を出してる男性がいたり良かった良かったと泣いてる女性たちの声がしている。この14年間共に闘って来た人達の興奮は収まらないようだ。そこへ高雄達が顔を出したのである。
書物をしていた光はドアーの方を向くと驚いた顔を見せて転がるように純也の元へ駆け寄って来た。
純也の顔を背伸びをしながら撫で回すと
「純也、純也」と名前を呼び続けている。
再審請求のことで湧いていた支援者も涙を隠せない。
どれ程我が子に会いたかったか。皆知っている。
この気丈な母に純也は言葉を失っていた。もういい青年である。
八歳の頃から今まで純也もどれ程この母と会いたたかったか。

しかし目の前にいる母は年寄りも大分老けて疲れているように見えた。
やっと我に返り「母ちゃん!お疲れ様…。」と言うのがやっとだった。それだけ胸が震えていた。何度夢に見たろうか。高雄や由美子には申し訳分けなくて言えずにいた事だ。
「母ちゃん、容疑者捕まったって?」
と言うと光は我に返ったようだ。
「ええ、今有村さんに連絡が来たの。捕まったから動き出すわね。」とキリリとした顔に戻る。やっと会えた、と、その溢れる嬉しさを感じて、少しシワやシミが顔に出ている光の顔をじっとみる。
これが母ちゃんの十四年の顔なんだな。と純也は思う。
僕が鈴木の父さんや母さんに何不自由ない暮らしをさせて貰ってる間、この母ちゃんは父の無実を訴え続けて、今やっと希望の光が見えて来たんだ。と、そう思うと知らずに涙が滲む。
そこに有村のスマホが鳴った。

皆の視線がそこに集中した。
「はい有村、え、そうか!いよいよ進むか!ありがとう佐々木!」有村の声が弾んでいる。みんなはその内容を待っていた。
「先生、中川のガサ入れ始まるようです。」伊藤弁護士に向けて其の報告が飛んだ。
経って仲間だった佐々木捜査員が気を利かして報告してくれたものだった。
供述の様子を見てガサ入れの必要有りと見た捜査課長がガサ入れの許可を要請したものだった。「それでは再審請求を最高裁に提出急いで作ります。」と伊藤弁護士が皆に向かって言う。

拍手が起こり夫々メンバーの目は期待に輝いている。
それでもから振りに終わることも有るが今回は、という気持ちのオーラが皆から出ているのだ。

高雄も、由美子も、そして純也も今度こそ!と願わずに居られない。

今日の会議はこれで解散しても良いのだが誰も帰ろうとはしない。伊藤弁護士も夫々の支援員と代わる代わる話しをしている。まるで勝利の前夜祭みたいな雰囲気である。そこへ明夫の妻がお茶の用意をしていた入って来たから余計であった。

長年共に闘う仲間の連帯は想像を超えて強いものなのだろう。

伊藤と皆の繋がりも深くてその間に何軒かの他の案件にも手を尽くして来たようだ。

伊藤弁護士は派手さは無いが皆から信用される善意の弁護士の様に見えた。温和な性格、凡そ近づきずらい様子は見せない。

だが一旦冤罪を伴う裁判ともなると其の裁判に置いて力を発揮し、居合わせた者を震え上がらせる程の強固な姿を見せるである。真実を追求する力のある熱血弁護士に変身する。

その姿や、有村や、支援者の熱意を純也は目の当たりに今見ているので有った。胸に込み上げる熱い物。其れは一体何であるのか彼はまだ分からずに動揺している。

                          9に続く

 

 


             

 

二つの親 7

「淳也、今度こそはもしかしたら再審請求何とかなるかもな、警察も尻を上げたようだよ。」

高雄は感慨深げにそう言って純也の肩を叩いた。

それでも純也は不安だった。この十四年間何度も請求しては却下されて来た。その経緯がそうさせるので有る。

「どうも有村さんの力らしい。」とポツンと高雄が言うと、

何だかその人物と会ってみたくなる。

純也は会ってみるか、ふとそう思った。会おう、純也はそう気持ちを固め始めた。
「父さん、一度僕皆と会ってみたいんだけど。」
新聞に目を通して居た高雄が淳也を見た。
「おう、いいぞ、今度の日曜日に再審請求の会議がある。そこに出てみるか?」
願ってもない事だ。母ちゃんも行くだろう…、そこまで思って少し躊躇った。
少し考えて高雄に思い切って聞いてみた。「僕、母ちゃんに会っても良いのかな?。」勿論、由美子では無く光の事だった。その由美子は風邪気味で早くに部屋に篭っている。
高雄は驚いた。こんないい大人になってまだ僕らに遠慮してるのかと思うと悲しかった。
「おお、いいぞ、暫くぶりだものなぁ、喜ぶぞきっと。」と言うと
「だって、父さん、母ちゃんは僕に会わないで父ちゃんを助ける事に命をかけて来たんだ。今更僕と会ったらどうなるんだろ?」
その言葉に高雄は驚いた。そうだったのか、と思った。可哀想な事をしたと思うと厳しい顔になって
「会いたくない筈無いじゃないか!14年も我慢して。光さんも、清志さんも純也の親に違いないじゃ無いか!俺らもあの二人も純也の親だよ。家族何だよ!
会おう。大きくなったお前を見て貰おう!」
純也は言葉にして来なかっだが、本当は、この14年一度も会いに来ようとしなかった母ちゃんが自分を邪魔と思っているので無いかとあの二年生の時から胸の奥でそう思って居て、否定したり、そうでは無いと考え直したりと不安が有って、ここの親二人に聞く事を遠慮してたのである。その時高雄が席を立って自分の部屋に行った。
戻った高雄は大きな箱とともに帰って来ると其れを淳也の目の前にドンと置いた。いっぱいの封筒だ。純也の目がそこに張り付いた。どの封筒でも良いから読んでみろ。と促した。一番上の封筒を手に取り裏返してみると生田光と書いてある。(母ちゃんだ!)どの封筒を取っても其れは同じだった。
、拝啓

皆様お元気ですか?私はいよいよまた再審請求に向けてこちらの運動員さんや弁護士事務所の方達と頑張っています。
あの事件の容疑者らしい人も見つかって警察も今度は重い腰を上げたみたいです。長い間の努力が実るよう願っております。
お知らせがあります。十月の十八日の日曜日にそれに向けての会議を午後一時から行います。お知らせまで。
その後には

純也は進路の事頑張ってますか?
私は大きな希望は無いのですが、あの子は社会の矛盾を見てみる振りをしない、そんな事が出来る将来を掴んで欲しいと願うばかりです。鈴木先生のところの子供にして頂いて大学も行かせて貰う事が出来ました。、私には余りある幸せです。風邪などひかないように身体に気をつけてご両親様の子として恥ずかしくない純也であって欲しいと思っております。皆様ご自愛下さいませ。

敬具
十月九日
生田光
鈴木高雄様
この大きな箱の全部がこのような内容の手紙である事は読んでいて純也には理解出来た。
「それだけじゃないん無いんだ、押し入れにまだ二箱有るんだよ。純也が来て直ぐから手紙が届くようになってね。十四年だものな。
お前には二つの親があって、同じ思いで育てて来たんだ。だが、会えない分母ちゃんは辛かったろう。」
そこまで聞くと涙が溢れてきた。
文面から、離れていても自分の子どもを心配する母親の愛情が押し寄せて来てるのを感じた。
僕は二つの親から感謝し切れない愛情を貰って育って来た。其れが22歳の青年の心にしっかりと今、染みて分かったのである。
その夜、日曜日には小平の会議に出席する事を親子で誓ったので有った。

             8に続く


             

二つの親 6

三鷹市井口に住むサラリーマンは櫻井と、名のっている。その日、飲みに三鷹駅に降り立った。そこで支援者に聞かれたのである。武蔵境と三鷹市の間を通る富士見通りの信号を超えて少し深大寺町に向かったところに自分のマンションが有る。富士見通りの角のコンビニで夜遅くに時折会う男とよく似ている。そんな事が書かれていた。「これ、吉田さんが追いかけた辺りじゃないかな。」と康介が有村を見ながら聞くと、

「確かにな、これは当たってみる必要があるなー、ただ、」と言って口ごもった。

「ただなんですか?当たりましょうよ。無駄じゃない。」と康介が言うと有村は顔を顰めて

「どうも怪しい、犯罪を犯して逃げて居るのにしてはヤサにしているところが近過ぎるんだ。もし、この男が中川で、あれから逃げてるとしたらまだ彼には他にも目的が有るのかも知れん。」

康介は驚き、有村に捜査員の目と言うものは凄いと感じられずに居られなかった。

有村は更に言う。

「早く抑えないと第二の事件を引き起こすかも知れん。」康介は驚いた。

「今夜吉田さんに詳しい事聞いて確信がも待てたら即武蔵野北警察署に話しを通しておこう。」と有村は言う。其れが再審請求を通す一番の手かも知れなかった。警察が動いてくれれば自ずと生田清志の免罪が浮上する。また、それを願わずに居られない。早く清志の身の潔白を証明したい。其れは二つの純也の親も支援者達も願って止まない事なのであるのだ。しかし免罪は警察の汚点である。かなり時が経ってしまった事件。すんなりと聞き入れ動いてくれるかは今の捜査課の考え方が違って居る事にかけなければならない。どんな思いを持つ課長であるのか、信念を持つ捜査員がいてくれるにかかっている。

だが、確かに事は進んでいる。有村はそう思った。

夜10時を過ぎて三人は吉田美佐子と会うことが出来た。相変わらず感じの良い人であった。直ぐに車に乗せ吉祥寺の深夜営業しているカフェで話しを聞いた。彼女には家庭は無く、独身である。歳の割に清楚で美しく面々は、いや、特に有村は吉田に対して興味がありそうだ。

伊藤弁護士は気づいて居てもポーカーフェイスであったが康介はそれを悟ると明らかに楽しそうな反応を見せていたのである。

、もしかして〜、と思っていたら遠藤弁護士から太ももをつねられた。で、我に戻った。

この男のどこが坂口健太郎なのだろう?

「吉田さん、中川さんが生田さんを恨んでたと言いましたよね?」と慌てて話しを切り出した。

美佐子は少し笑っていた。

「そうなんです。私聞いちゃったんです。中川さんが料理長に文句言ってるのを。」三人は顔を見合わせた。「其れはいつ頃の話ですか?」

と更に聞くと

「もう古い話しで、あの事件の起きる半年くらい前の事と思うのですが、日にちはもう覚えて無くて。」「怖かったです。あんなに料理長に喰ってかかるなんて。だから強烈に覚えてるんですが。」

有村が聞いた。

「どんな内容だか覚えてますか?」

有村を見つめて答えた。

「ええ、覚えてますとも、忘れられない内容でしたから。」三人は身を寄せて聞き入った。

「何故、父さんはあの男を可愛がるんだ、俺をさて置いて!」

「其れは料理長が中川の父親だと言う事ですか?」と伊藤弁護士が問うと

「分からないのですが、どうもそうらしいです。苗字違うのでまさかとは思ったのですが、そう言えば何となく似てましたね、あの二人。」

その話しが本当だとしたら其の料理長と血の繋がる親子で中川は生田を可愛がる親に怒りを覚えていた事になる。

「生田さんは料理の筋がいいってもっぱらの噂でしたし、あの頃誰にも任せて無かった魚の捌きも任されてましたね。其れに焼きもちを焼いてたのかも知れません。」「それに、生田さんと物の考え方が違って、厨房でも中川さんよく噛み付いていたと聞きました。」三人は大凡その美佐子の話から様子が分かって来た。そこまで聞けばおばさんでも女性である。夜遅くでもあり、安全に家まで送る事にして其のカフェを出て眠らない街吉祥寺を後にしたのである。

有村の車で来ていた。それで有村が家まで送って行った。後に残った遠藤弁護士と康介はタクシーで乗り合いして夫々帰る事にした。「先生、有村さん吉田女子に気がアリアリですね?」と、楽しそうに言う。

それを横目で見ながら遠藤は行った。「そんな事は大人同士に任せておきゃ良いのさ。」そして前に向き直して更に「康介、ふんどしを〆直しとけ。いよいよだぞ。」と窘め、タクシーに向かい手を挙げたのである。

康介は途端に気持ちが引き締まった気がして直立不動の姿勢を取っていた。

其れは純也が由美子の揚げたカツを美味しそうに食べた次の日の夜半の事で有ったので在る。

             7に続く

 

二つの親 5

其れは光にとって、どれほど力強い味方で在ろうか。
一筋の光が差し込んだようであった。
中川浩は事件から12年たって、勤め先には辞めると言い残し、それから三年の間行方が掴めないままであった。携帯も使用を辞めたか新しく購入したかでそこからは所在を掴む事は難しい。その行方を必死に探しているところである。
有村は中川を本ボシと定めて疑わなかった。あらゆるツテを辿ってその足跡を追っている。弁護士事務所の若い見習いである、木島康介(23歳)が其の相棒として有村と其の捜査に当たっていた。
康介もまた熱い青年であった。
イノセンス免罪弁護士のあの主演男優に似てると自分では豪語して止まないのだが…。ま、自由ではある。
事務所は高田馬場の駅近くの小さなビルの中に有った。
その康介のデスクの電話が鳴った。
丁度中川の足取りをこれまで寄せられた、そうでは無いかと思われる目撃証言を端から書き出してホントらしい証言をつまみ出していた所であったので電話の音に少し驚いて慌てて其れを取っのたのである。
それは生田の勤めていた料理店、武蔵境北口商店街から少し離れた道沿いに有る料亭、曙、のフロワーの店員、吉田美佐子からであった。何回も顔を見て知っているおばさん店員である。
「あの、あ、木島さんですか?」
「はいそうですが、吉田さんですよね。どうされましたか?」と促すと
「私、昨日の夜、中川さん見たんです。」と言う。
「え、ほんとですか?」と言いながら有村にサインを送った。有村も受話器を取る。
「間違い無いと思うんです。武蔵境の北口のタクシー乗り場で。」
「それでどうしましたか?」
木島はその答えに焦れた。それに耐えながら返事を待った。
「私彼から後ろを向いてたんです。顔知ってますから。」
「そしたら列から離れて小金井方面に歩き出して、悟られたかな。と思ったんですけど、私その後をつけたの。」
「何でそんな危険な事を!」
「そう思ったのですけど私どうしても気になって。」
「何処へ行きました?」
「武蔵境の南口にでて真っ直ぐ三鷹市の近くまでいくと左に曲がりました。私土地勘無くてね。東京ガスの店を超えた路地で辺りを気にしながらその路地に入って行きました。それ以上は私怖くて。」そこまで聞くと
「当たり前です。そこまでで充分です。もう危険な事はしないで下さいね。」と康介が窘めると、彼女は話した。「私どうしても生田さんという板前さんがあの事件起こしたと思えなくて、其れに中川さん生田さんの事恨んでたし。」
初めて聞く言葉だった。
有村が割って入った。
「その話詳しく知りたいのでお会い出来ませんか?」と言うと少し躊躇ってはいたが彼女は仕事が終わってからなら何時でも。という事で、今夜閉店時間に迎えに行くことの約束を取ったのである。なるべく店から遠いところで話したい。中川に気づかれたら彼女も危険になる可能性もあるからだ。
有村は康介に言ったのか、
「これは大きく動くかも知れない。」と窓から見える都会のビルのネオンを見ながらボソッと呟いた。だが其の眼は確信に輝いて居た。💐
「喜久子さん先生は何時頃帰る?」
弁護士資格の勉強をしながら事務員をして居る尾上喜久子に確認した。「もう戻られますよ。三時までの先方との打ち合わせですから。」
時計を見ると三時を少し回っている。
「有村さん先生間に合いますね。」と言うと、ウンウンと頷く。
有村は其の尾上事務官と、康介を見ていてつくづく思う、若いのは宝だ。この若者たちがこれからの日本を背負って行く。
ただ捜査の手伝いしか出来ない自分が悔しいのだ。
だが1つの免罪を晴らせるかも知れない事に闘志を燃やしている自分に悔いは無い。そうとも思い返していた。
その時「あ、!」っと書き出しの続きを見ていた康介が大きな声を出した。
「有村さんこ、これ見て下さい!」
それは三鷹駅で声をかけた人で。、時々似てる人を見る言う仕事帰りのサラリーマンの証言で有った。

 

 

 

                  6に続く

二つの親 4

日本の法の元では結審した刑を裁判のやり直しに持って行くのは本当に指南の技でとてつもない時間をかけて命を削って支援者達が立証し嘆願しても差し戻し裁判が棄却される事は珍しく無い。

汚名を着せられた者が悔し涙を流してどれだけの受刑者が犯罪人のまま人生を終えたのか。

実に控訴していた受刑者の80%に及ぶ。 本当に免罪で有るならどんなに悔しく絶望の中にいたのだろうと計り知れない。
清志もまた疲れ果てていた。体力も気力も既にギリギリである。、このまま来年満期での出所となる公算が強いかった。
それだけに支援者達は真剣であった。

支援者の中には清志の事件は冤罪と疑わない捜査員が、その信念で警察を辞して支援者会に参加し根強い捜査をかってでた男もいた。武蔵野北警察署で当時この事件を担当した元捜査員有村哲平、五十六歳、その人である。

彼は最初から物証のみで起訴したそのやり方に疑問を持って居た。
現場検証した時にその物証に疑問を抱いたと話している。凶器は調理用の刺身包丁、それに返り血を浴びた調理人の白衣。共に清志の物に違いないがロッカーに入れて置いた物だった。だが清志は料理人だから持ち物には凄く気を使っていた。刺身包丁は修行時代に親方から貰い受けた物で所謂宝物であり、ロッカーに箱に入れてしまって置いたもので有るし、白衣は普段使わないサラのものを一枚吊るしておいた。いざと言う時のものだ。其れが無くなって、現場に有ったものだ。そして現場の指紋はその物証以外からは出て無かった。その筈で有る、清志は其のマンションも知らない。事件当初、15年前の三月二十三日午後九時頃。店が休みで早めに寝たのだが家族以外其れを証言出来る者がいなかった。

実はそのマンションの部屋の至るところの指紋は全部調べたのである。その中に清志と同じ料亭の調理人、中川浩(同時三十二歳。)の指紋も出たのである。土足で押し入った筈の清志の足跡も見つからなかった。
にも関わらず、清志を攻めたて自白の無いままの基礎となった。有村はそれに納得がいかずもっと中川の捜査をと進言したが通らずじまいになった。生涯平の捜査員で、独身を貫いていたし、面倒な親戚も居ない。であるから怖いものは無い。警官を辞める決心をし、自分の経験が生きるであろうと担当弁護士の伊藤政治弁護士事務所の一員となり、支援者の一人となったのである。
其れは光にとって、どれほど力強い味方で在ろうか。
一筋の光が差し込んだようであった。

 

手直しをしながら5に続く