二つの親 2

光はその間に夫、生田清志に担当の伊藤弁護士を伴って面会をした。
純也を養子に出すとなれば正式な手続きを踏まなければならないからだ。
清志は涙ながらも我が子の幸せを願い養子に出す決心をしたのである。ただその清志の姿は痛ましく、「やっても無い事で俺はこんなところに。その事で純也も手放さなければいけないなんて、光、本当に済まない。」と頭を面接してる前の棚に付けて何回も謝っていたという。
光は「お父さんの無実は信じてるの。弁護士さんとも相談して必ず裁判のやり直しを勝ち取るから、支援してくれる人も出て来てるので、私組織を作って再試戻しの運動を起こすから、お父さんも頑張って!」と何回も励ましたのである。
それから養子縁組の手続きは何事も無く進み、由美子が光に話してから一ヶ月を経て純也は鈴木純也となり、光に連れられ世田谷の高雄と由美子の家の敷居を跨いだ。

まだ八歳の子どもが突然生活が変わり、産みの親とは戸籍も離れる。
これは相当に気持ちに負担がかかろうと思うもの。

その夜の内に帰ると言う光に一晩泊まっていく事を進めた。だが、光は頑として聞かなく、そそくさと挨拶だけ済まし三鷹へと帰って行ったのである。
出入り自由、会うのも自由との約束なので有ったのだが、その後三鷹市のあのアパートから、裁判の活動を応援してくれている光の兄の家(小平市)に越して行った。
それから純也の前に姿を見せなくなったのである。
当然純也は寂しそうだった。
だが光の事を由美子に聞くことは無く、
自分の立場を理解している、そんな利発な子どもであるがその胸の内は想像して余り有った。
其の由美子の事を先生ママと呼び、高雄を先生パパと呼び、転校した地元の学校にも慣れた。
由美子は純也が愛おしくて堪らない。だがやたらに甘やかす事はしなかった。
其れはこの子はいずれ生田夫婦に返さなければならないとそう思っていたからだ。
充分に愛し、教育をし、自立し、きちんとした大人に育てるのを目標としたのだ。
光はそれからも鈴木家を訪れて純也に逢う事は無かった。その間月に一度、其れは翌年もまたその翌年も高雄宛に手紙を書いてキチンと近況を知らせて来ていた。純也の事はいつも最後に、純也は元気にしてますか?と書かれており、生活に追われ、
そしてやり直し裁判を獲得するための活動の事を報告してく来るものだった。だから裁判の其の流れも手に取るように二人には分かっていた。
光もまた信念の在る強い女性で有る。
高雄はその度に純也の事も事細かく記載して返事を送っていたのだった。
養子に迎えてから由美子は転勤して白金小学校から三鷹市内の他の小学校に通った。
純也ひ対する虐めは当然目立つ物は無くなり、すくすくとその成長を見た。
そして月日はあっという間に過ぎ、純也は養父高雄と同じ創応大学の法学部の4年生になり其の道を進むのか大学院に残るのかそんな事を決めなければ成らない境目の時を迎えていたのである。

鈴木純也となって14年が過ぎていた。
こんなに成長するまで我が子として暮らして来れた事に由美子夫婦は感謝している。可愛らしかった童顔の純也は背の高い、所謂今風のハンサムな青年だ。もしかしたら彼女と呼べる人も居るのかも知れない。
ヤキモキしながらもそんな子を息子と呼べる幸せを感じている。

現在、高雄と由美子は揃って四十を過ぎ、高雄は創応大学の教授、由美子は三鷹私立楓中学校の教頭に昇進して忙しい毎日を送っている。

                                   3に続く